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第3回

「ああ、見つからないように」

 気のない返事を無視して、玄関でスニーカーを履き、外に出ると流石さすがに肌寒い。でも、少し前までもっと着こまなければ夜出られなかったことを考えると心地がいい方だ。

 俺は夕方走ったのと同じ方向にもう一度、一歩を踏み出す。家族は俺が毎晩、見通しの良い場所を走るとでも想像しているようだが、違う。部屋にいると、あらぬ心配と意識を向けられると分かってからずっと、俺は家族のだんらんなんてものから逃げ出すように、たっぷりと時間を使って闇の中を歩くようにしている。

 夕方と違う点は速度だけでなく、もう一つ。今度はまっすぐあのバス停へと向かう。今度は林の中を通ったりせず、ぽつりぽつりと外灯のあるアスファルトの道をゆっくりと歩く。

 まだ人が住んでる家があるうちは特に何を考えることもなく歩けるが、徐々に暗くなり、見えるものが間隔の広くあいた外灯や空き家、たまに通る自転車だけになると、一応は気をつけて歩かなくてはならない。ひかれないよう手首にじんわりと発光するバンドをつけてはいるが、ぼうっとしていると自分から田んぼや畑に落ちかねない。助けを求めようにも、いつ人が通るか分からない。

 とはいえ、基本的にはほぼ毎日通る場所なので、今日も問題なく例の林まで辿り着く。外灯達から見下ろされ、真っ暗な中アスファルトを踏みしめながら歩いていくと、あのバス停が見えてくる。

 バスが来ない場所に灯りは必要ないのだろう。外灯と外灯の中ほどの地点に置かれちょうど一番暗いポイントであるにもかかわらず、バス停を照らすようなものが月以外にはない。待合室のスライド式の扉を開ければ中に蛍光灯のスイッチはあるものの、俺はつけたことがない。だから灯りがつくのかさえ分からない。

 待合室の中は風が遮られるので、冬は体感温度が外よりも上がる。俺は扉を閉め、そこにあるのかすらもおぼろげなベンチに腰を下ろす。

 胡座あぐらをかいて、手首のバンドを外しポケットに入れる。この闇の中で、その灯りは邪魔だ。

 真っ暗。それ以外になんとも言い難い待合室。外はほんのりと明るく、それがまたこの場所とつまらない外とを違う世界のように感じさせてくれる。

 ここは唯一、俺の夢想が許される場所。一日に二度だけ、俺がつまらないままであることを許される時間。

 俺は、迎えに来てくれるかもしれない特別な何かを待つため、じっと目をつぶる。

 既に用済みのバス停が撤去されることなく残っているのには理由がある。この田舎町に残る妙な言い伝えのようなものが原因だ。使わなくなった建造物はしばらくの間、壊さずに置いておく。ひとの絶えたそこを、先祖が使うかもしれないから。下界におりてきた先祖が、そこを必要としているかもしれないから。俺達の町には空き家がぽつりぽつりと不気味な姿で建っている。

 言い伝えの発祥も、現在まで伝わっている理由もどうでもいい。しかし、その馬鹿げたおとぎばなしのおかげで俺は毎日、一人で心を休めることが出来る。

 しかしいくら心を休めると言っても、油断しすぎた。

 待合室の中、いつのまにか眠ってしまっていた。

 以前にもうとうととしたことはあったけれど、気温があったかくなってきたからだろうか。昨日あまり眠れなかったこともあるだろう。

 とにかく、目が覚めた時には眠っていた自分に驚き、ポケットから取り出したスマホで時間を見てまた驚いた。十六歳になっていた。

 葬儀場から帰宅したのだろう、母から来ていたいくつかの電話とメール。メールは心配と説教が混じったような内容だった。俺は半分正直に、公園のベンチで休憩してたら寝てたすぐ帰る、と打ち込み母に送信した。

 夜中になって静けさと暗さがより濃くなったような待合室は、まるで自分が眠ったままなのかと錯覚するもうろうとした気分を抱かせた。

 自分の体から少しずれてしまったような呼吸を感じ、整える。すぐに帰ると言ったけれど、夢想の場所から外の世界に出るのには少しの準備が必要だ。自分の中のリズムを外に合わせなければならない。

 ゆっくりと息をする。待っていると、やがて体がこの世界に合っていくのを感じる。

 立ち上がって、体にまとわりついてくる暗闇の胞子をはらいのけるように一歩進み、スライドドアの取っ手に手を伸ばす。

「いつもどこに行くの?」

 声がした。

 取っ手にかかっていた手が跳ね上がって、ドアに揺れる音をたてさせた。

 息を急に吸いこみすぎてしまう。肺に痛みが走る。

 心臓が大きく鼓動する。

 一瞬パニックになり、暗闇の中ふらついて、壁に手をついた。ざらりとした手触りがして、ほこりか壁の破片かが、ぱらぱらと地面に落ちた。

 落ち着け、と、頭の中で自分に言い聞かせる。

 一度、息を吐ききって、もう一度吸う。

 なんだ、今の。

 声がした。

 声が。右の方から、恐らくは、女性の声だった。

 気のせい、だろうか。ありうる、寝ぼけているのかもしれない。

 このまま、外に出るべきだろうか。

 考えている間だった。

「今日は、あなたも眠るってことを知れた」

 今度は、きちんと聞こえた。ハスキーな、女性の声。

 背中の神経が、ぞわりと沸騰するのを感じた。

 なんだ?

 最初に想像したのは、幽霊だった。耳にこびりつくほど聞かされた言い伝えも手伝った。こんな古びたバス停でしかも夜中、出るのには絶好のタイミングなのかもしれない。が、疑問はある。どうして今まで現れなかったのに突然出てきたのか。そしてもう一つ、幽霊だとして、俺ごとき普通の人間に声が聞こえるものなのだろうか。

 次に想像したのは、俺が寝ている間に誰かがここに来たのだということ。しかし、何のために。

 全身全霊で乱れた息と心臓をおさえこむ。

 振り返っていいものなのか、悩んだ。今この時が分かれ目なんじゃないか。振り返って見た途端に、危害を加えられるなんてことはないだろうか。

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